学生時代、僕はサッカーにすべてを注ぎ込んでいた。
全国大会という大きな目標に向かって、休みもなく泥だらけになりながら練習に明け暮れる毎日。

振り返ってみると、あの頃の日常がなぜあんなにも輝いていて楽しかったのか。 理由はシンプルで、「心から熱中できるもの」があったからだと思う。

でも今、僕の日常には熱中できるものがない。

楽しさの「種類」が変わってしまった

社会人になった今でも、サッカーやフットサルは続けている。
けれど、それはあくまで「遊び」や「健康維持のための運動」という位置付け。
あの頃のように人生をかけて本気で打ち込むことはない。
仲間と集まってワイワイ身体を動かすのは、もちろん楽しい。
でも、正直に言うと学生時代の「楽しさ」とは根っこから種類が違うのだ。

僕が本当に好きだったのは、1点や1勝利に命をかけるような「勝負のヒリヒリ感」。
勝ちたいという執念、負けたときの悔しさ、プレッシャーの中で心臓がバクバク鳴るあの感覚。

今の「みんなで楽しくやりましょう」という温もりの中には、僕が求めているあのヒリヒリとした高揚感はない。

「それなり」で済んでしまう仕事と日常

じゃあ、仕事でその情熱を発揮できているかというと、そうでもない。

日々の業務は、基本的に「言われたことをこなす」のがメイン。
歩合制ではなく固定給だから、どれだけ汗をかいてめちゃくちゃ頑張っても、
抜かりなく「それなり」にやっても、月末に振り込まれる給料の額は変わらない。

自分自身の性格的にも、「固定給ならそれなりでいいや」割り切ってしまう部分がある。
必死になって成果を追い求めるわけでもなく、ただ淡々と毎日が過ぎていく。

「熱中」さえ見つかれば、日常はまた動き出す

プライベートでも本気になれず、仕事でも熱くなれない。

今の僕が感じている「退屈」の正体は、環境のせいではなく、
「魂を燃やせる対象がないこと」そのものなんだと思う。

あの全国を目指していた頃のように、
時間を忘れて没頭し、勝負の緊張感に胸を痛め、自分の限界に挑むような何か。

もしそんな熱中できるものを見つけることができたら、
この退屈な毎日は一瞬で色鮮やかで、楽しく刺激的なものに変わるはず。

大人になった今、僕はもう一度「本気になれる何か」を探している。


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