社会人になってもうすぐ4年。
親からお金の大切さを教えてもらっていたこともあり、社会人になってからはずっと「無駄遣いをしない暮らし」を心がけてきた。
毎月の給料は全額使わず、一定額を貯金やNISAに回す。
通帳や投資口座の数字が増えていくのを見るたび、小さな嬉しさと安心感があった。
ずっと「お金は無駄遣いせず、しっかり貯めることが正義だ」と信じて疑わなかった。
でも最近、自分の中に突如として芽生えた違和感がある。
「給料を、全額使い切ってみたい」
自分でも驚くような衝動だけど、なぜそう思うようになったのか。
じっくり考えた結果、たどり着いた理由はシンプルだった。
「刺激が足りない」のだと思う。
完成してしまった「完璧な生活」
これまで、自炊を徹底したり格安SIMに乗り換えたりと、節約できるところは徹底的に見直してきた。
かと言って、ケチケチした苦しい生活をしたいわけじゃない。
エアコンを我慢せずつけたり、趣味や交際費には気持ちよくお金を使えるよう、全体のバランスを丁寧にデザインしてきたつもりだ。
今の生活費と娯楽費の配分で十分に楽しいし、毎月それなりの金額を貯金に回すこともできている。
……ただ、この「決まった生活」に飽きてしまった。
無駄遣いはすでに削りきった。
趣味に使うお金も毎月固定化された。
お金の使い道を自分の中で完全にコントロールし、考えきってしまったのだ。
「決められた枠組みの中で、決められた通りに過ごす」
お金の使い道が固まることで暮らしは安定したけれど、同時に人生から「刺激」が失われていくような感覚があった。
感情が大きく揺れるような出来事が、最近ない
もちろん、刺激をお金で解決するのが正しいことなのかはわからない。
お金を使わなくても得られる刺激はあるかもしれない。
けれど、「給料を全額使う」という経験は、これまでの人生で一度もやったことがない。
「やったことがない」のなら、そこにはまだ見ぬ刺激や新しい価値があるんじゃないだろうか。
来年1年間、「給料全額使うチャレンジ」をしてみようかと考えている。
そう想像するだけで、なんだか胸がワクワクしてくる。
心臓がギュッとするような体験を買いたい
長年「貯金=正義」で生きてきた自分にとって、お金を使い切ることへの罪悪感は間違いなく出てくると思う。
「こんな使い方をして、何の意味があるんだろう」と不安になる瞬間もあるはずだ。
でも、最近の日常を振り返ってみると、心臓がギュッと縮こまるような出来事や、感情が大きく動くような経験から遠ざかっていた気がする。
安定したレールの上を走る暮らしもいいけれど、あえてその外側に踏み出してみたい。
お金を貯めることだけに縛られず、自分の感情を大きく揺さぶるような体験や挑戦に身銭を切ってみる。
そんな1年間にしてみるのも、自分の人生の実験としてかなり面白そうだなと思っている。
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